2006年6月26日、27日 「たけのこ会」
 
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坂東三津五郎丈ご一門の舞踊研究会「たけのこ会」が6月26日27日の両日、浅草公会堂にて開催され、三津右衛門さんと「鬼次拍子舞」にて松の前を、また、大喜利の「笑門俄七福」で芸者を勤めさせていただきました。
以前、第一回、第二回の「たけのこ会」にも出演させていただき、「喜撰」のお梶や「角兵衛」の鳥追いを勉強させていただきましたが、この度もいかにも坂東流らしい特色が溢れた演目や稀曲が並び、私もよき勉強の機会となりました。
当日の舞台や楽屋の様子を写真でご紹介します。

【舞台写真】
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「鬼次拍子舞」
長田太郎(坂東三津右衛門)
「鬼次拍子舞」
「鬼次拍子舞」
「鬼次拍子舞」
長田太郎(坂東三津右衛門)
「笑門俄七福」
「笑門俄七福」
幇間(大和・八大)

【楽屋の様子】
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1、ハネまみえという古風な眉を引きます。八の字眉とも言います。(7の写真参照)
2、蓬莱山(波、桜、奇岩、滝、遠山、霞)という柄の緋綸子の振袖。両袖口に金地の房が付いています。
3、白拍子ということで、ひわ色の長絹(ちょうけん)を羽織り、石帯という細い帯状の紐で押さえます。(京屋結びの紋付)
4、振り下げ帯は黒地の繻子、業平格子に花の丸の柄。
5、床山の酒井さん、衣裳(3の写真参照)は折原さん(前)、大久保さん(肩)です。
6、かつらの髷の左右に刺さっているのは鼓と言います。髷の下は赤い縮緬が箱に結んであり。銀と赤の稲妻が付いています。
7、紫地の帽子付き、蓑(生え際の毛の植え方)の吹輪という姫専用のかつらで、古風で大時代な芝居に用います。銀の姫挿しは62輪の大振りで京屋専用です。
8、差し込み襦袢(白地に紅葉と霞の柄)を1枚余計に着ているせいもあって、とても重いです!

「鬼次拍子舞」−おにじのひょうしまい−
本曲は寛政5年9月江戸河原崎座にて初演された長唄所作事です。本名題「月顔最中名取種(つきのかおもなかのなとりぐさ)」。配役は長田太郎を大谷鬼次、松の前を岩井喜代太郎。「鬼次拍子舞」の俗称は、この初演者の鬼次の名から由来したものです。拍子舞というのは、三味線や鳴り物に合わせて唄いつつ舞うという伝統的な舞踊の技法で、冒頭の男舞縁起の件りに用いられています。曲のみ残っていて途絶えておりましたが、大正11年3月5代目中村福助の第1回「羽衣会」で、7代目坂東三津五郎の長田太郎、福助の松の前により、坂東流の古老が伝承していた振りをもとに復活されました。その後、昭和40年1月歌舞伎座にて8代目三津五郎の長田、現雀右衛門の松の前で久々に上演され、その折三津五郎丈が初演時の台帳を調べ、新たに再構成されました。今回はその時の台本にて上演致します。内容は平家の武士長田太郎と源氏方の松の前が名笛を枷に争うという単純なものですが、いかにも坂東流らしい古風で面白い振付がなされており、私も以前から踊りたかった曲のひとつです。今回またとない機会を頂き大変嬉しく存じております。
「笑門俄七福」−わらうかどにわかしちふく−
これも坂東流のみに伝承されている稀曲です。弘化4年正月江戸河原崎座で、三段返しの所作事のひとつとして初演されました。内容はお大名の新宅開きに呼ばれた芸者や幇間(太鼓持ち)がそこで見せる余興の稽古をするというもので、まず、幇間の「柱建萬歳」から始まり、次に芸者と幇間で「林燗」の色模様。そして芸者の「とてつる拳」、幇間の「唐人踊り」、芸者の「浮かれ出雲」の七福神尽しと続き、全員の「御所のお庭」の総踊りで幕となります。こちらもとても面白い振りが付いているのですが、なかなか難しくて四苦八苦しております。


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