平成19年度日本文化紹介派遣事業
歌舞伎レクチャーデモンストレーション公演(インドネシア・フィリピン)
国際交流基金主催・松竹(株)製作
 2008年2月、日本インドネシア友好年・日本文化紹介事業として、平成19年度日本文化紹介派遣事業 歌舞伎レクチャーデモンストレーション公演(インドネシア・フィリピン)が行われ、私も参加させていただきました。

 公演内容と日程は下記の通りです。日本インドネシア友好年(2008年)については、こちらをご覧下さい。
公演内容
一、 歌舞伎舞踊 「鷺娘」
鷺の精 中村京蔵
二、レクチャー
・歌舞伎の歴史
・女形についての解説
・中村又之助氏による獅子の扮装
三、 歌舞伎舞踊 「石橋」
獅子 中村又之助
胡蝶 中村京蔵
2月7日(木)
マニラ:ロムロ劇場※(20:00開演)
2月10日(日)
ジャカルタ:ジャカルタ芸術劇場(16:00開演)
2月13日(水)
デンパサール:バリ文化センター クシラルナワ・ホール(18:30開演)
鷺娘
「石橋」胡蝶


マニラ篇
マニラ チラシ

マニラ
国際交流基金
広報誌
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2月4日

現地時間(以下同じ)22:50 無事にマニラ・ニノイ空港着。現地交流基金の鈴木さんはじめ皆さんの迅速な対応で、ごった返す空港も何の問題もなく速やかにかい潜り、ホテルに入る。10年前、やはり交流基金の仕事で初めてマニラを訪れた折りは、かなり怖い目に遭っているので、マニラにはいい印象がない。ただ、マニラ湾の美しい夕日だけが思い出深い。空港も油断がならないので、まず第一関門クリアー。極寒の日本から常夏のマニラへ。体内時計も面食らっている!


2月6日

【14:30 公開ドレスリハーサル】
今日の舞台稽古は現地の要望により日本語を学ぶ学生やアーティストを招いての公開となる。昨日のテクニカルリハーサルが、現地スタッフが大変頑張って下さり殊の外スムーズだったおかげで、今日の稽古もほとんど支障なく進行。鷺娘・レクチャー・石橋のプログラムで、全体で105分。出来開きの休憩がスムーズになればもう少し縮まるので、まずまずの進行状況。いつものことながら、通訳の方のご苦労は察して余りある。 私はマニラは10年振りだが、車窓から見る景色は今も変わらず、高層ビル街とスラム街、貧富の差は歴然。むしろ人口がこの25年で倍増しているそうなので、格差はどんどん悪化しているそうである。車の量も半端でなく、ホテルの前が主要幹線道路なので一日中物凄い交通量。それもぐちゃぐちゃに走るは、割り込みはするは、人々がその間を平気でくぐり抜けるは、いやはや日本では考えられないような道路事情。
【19:00】
新しいベイエリアの中華飯店で、大嶋日本総領事主催の歓迎夕食会。中山公使ご夫妻が大変な歌舞伎愛好家でいらっしゃったので、会話が弾む。

2月7日 20:00 マニラ公演本番

会場はマカティ市のオフィス街の真ん中にあるRCBCプラザという総合ビルの中にある400人ほど収容の民間劇場。
間口や客席との距離など、このような公演にはぴったりの劇場で雰囲気もいいが、楽屋に蚊が飛んでいたり(刺されまくった!)、天井が破れていて空調の水が漏れたり(又之助さんが被害を被った)、いやはや中々大変。
客席は各国大使館や政府、財界、学界関係者などで超満員。基金の鈴木所長さんの話しによると、フィリピンでは地元の大学生が2003年にタガロス語で歌舞伎を演じたそうで、歌舞伎への関心は非常に高いという。今夜は招待客だが、そういう意味で、昨日のリハーサルは学生を対象とした公開となった次第。
フィリピンでの歌舞伎公演は10年振り。私はその折りも芝雀さんと共に参加している。他国の演劇に対する興味と関心は高いから、前回同様客席はとても熱心で反応もいい。鷺娘の引き抜きで自然に拍手が起こったのは、海外公演で初めての経験。
今回は低予算のぎりぎりのプログラムで、私も懸念していたが、鈴木所長が、熱狂的な客席の様子から、もう一日公演したかったと言って下さったり、翌日の地元新聞に好意的な紹介記事が出たり、私も責任が果たせて一安心。終演後、中華街で皆で乾杯!

ロムロ劇場ロビーにて
ロムロ劇場にて

ジャカルタ篇
インドネシア
パンフレット
インドネシア
国際交流基金
広報

2月8日 22:00

シンガポール経由でジャカルタ着。雨季真っ盛りで、湿度100パーセント!交流基金の塚本さんの話しによると、昨日は洪水のようなスコールでいつもは市内から空港まで一時間の道のりが11時間も掛かったとか!もともと湿地帯の空港がかなり冠水した為らしい。23時近くにホテル着。基金の金井所長に久々に再会。長道中のくたびれで早めに就寝。


2月9日 13:00 劇場入り

ここジャカルタ芸術劇場は180年ほどの歴史がある州立の劇場で、オランダ領時代の面影を残す古いが雰囲気抜群の劇場。マニラといい、ここといい熱心で親切な地元スタッフの協力で、テクニカルリハーサルはとてもスムース。通訳のヘルミさんとの打ち合わせ後、16:00より記者会見。私と又之助さんの受け答えの様子を見て、若い女性記者が「京蔵と又之助は女形と立役が逆ではないか?」と言ったそうである!
夕刻また洪水のようなスコール。劇場を出る時には小降りになっていたが、突風も吹いていたらしく、街路樹が至る所でねこそぎ倒れており、バスを直撃した現場に遭遇!。いやはや、大変な時季に来てしまった。明日の本番のことなきを祈るや切!。

2月10日 16:00

いよいよジャカルタ公演当日。朝から雨もようの天候だが、それほどの雨脚にはならない様子、やれやれ。基金の熊谷さんの話しによると、前売りチケットはすべて完売だそうである。案の定、当日売りを求めて長蛇の列になり、受付の対応が追い付かず開演が20分ほど遅れる。
果たして反応のよさはマニラ以上で、鷺娘の引き抜きに感嘆し、雪降りに目を輝かせ、私の日本語によるレクチャーにも笑い声が起き(日本語を学んでいる方が多いからだそうである)、石橋でも、眠る獅子に胡蝶が絡んだり、追いつ追われつすると納得の歓声。終演後も舞台前に観客が押し寄せ、舞台に駆け上がらんばかりの熱狂ぶりは、誠に役者冥利につき、一行全員の苦労が報われた思い。
劇場支配人のMarusya女史が「歌舞伎のレクチャーなんて、お客が来ないわよ!」と陰でのたもうておられたそうだが、満員の客席の盛況ぶりと取材人の多さに、終演後は打って変わっての歓待振り。シテヤッタリとは正にこのこと!。金井所長に感謝され、世界に愛される歌舞伎の普及をここジャカルタでも果たせて一安心。
雨も上がり、中華街で皆で乾杯。インドネシアは過去の事例から大変親日的であり、歌舞伎のみならず日本文化への関心度が高いので、これからも積極的な文化紹介の必要性を痛感した次第。

ジャカルタ芸術劇場
舞台から客席を臨む
ジャカルタ芸術劇場ロビー
現地交流基金の皆さんと
インドネシア料理店にて
踊る魚!?を手にして

バリ篇

2月12日 11:00

バリ文化センター。テクニカルリハーサル。幕のないオープンステージ、バリ舞踊専門劇場なので、上手のサイドステージにはガムラン楽器が常設。正面には金ぴかの龍神の装飾を施した「かとう口?」が三つ並び、紅い傘が二本立っている!。照明設備も不十分で、ここで演らねばならぬ苦労をどうか察して頂きたい。皆で知恵を出し合ってなんとか工夫して今日のリハーサルは早目に終了。マニラとジャカルタを無事に打ち上げ、いよいよ最終公演地デンパサールが難問続出なので頭が痛い。まっ、悩んでも仕方がないので、極上のSPAでコリコリの肩と腰を癒す。海風が心地いい。

2月13日 16:30 バリ文化センター

千穐楽。今回は二年ほど前、バリ島に日本総領事が置かれて初めての催しなので、受け入れ側にノウハウがなく多少の戸惑いが感じられるが仕方ない。今夜は学生(高校生・大学生)中心の鑑賞教室。バリタイムなので開演時間になっても客席が埋まらず30分押し。果たして、鷺娘が開くとどこからともなくパーカッシの太鼓の音がヅンドコヅンドコと鳴り響いて来るではないか?!
まるでバリ音楽と三味線のコラボレーションみたいな様相を呈して来て、踊りに集中出来ない!。私が一旦着替えの為に下手に引っ込むと舞台監督の高久氏が飛んで来て、何でも向かいの広場で野外コンサートがあり、それが防音設備も何もない劇場の中にまで響いて来るとか!?。領事館の平島さんが交渉に行って一時休戦協定を結んだものの、先方はそんなのお構いなしに再開。レクチャーの時も石橋の時も鳴り響きっぱなしでこれには参った!
レクチャー時も客席の出入りが頻繁で、歌舞伎の歴史を多少端ょるが、通訳の方が不慣れだからアドリブが効かず、おまけにマイクも壊れてもう踏んだり蹴ったり!石橋の幕切れも平島さんがまた休戦協定に行ってしまったので手が足りず、音をフェイドアウトする人がいなくて、舞台裏は大慌て!しかし、客席の反応はよくて、引き抜きの時も拍手が来たし、女形のレクチャーも大ウケ。石橋が終わりカーテンコールになって掛け声!まで掛かり、まずは成功!成功!と皆で慰めあって、ビールで乾杯!肩の荷がやっと降りました。

デンパサール
タマン・ブダヤ・バリ劇場
入り口にて
デンパサール
タマン・ブダヤ・バリ劇場
内部
バリ料理レストラン
領事を囲んでの夕食会

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